EF58-96(宮?)

EF58-96っていうと、最晩年の米原区撮影会のイメージが強いので
 
“米原のゴハチ”
 
っていうイメージが強いのですが、実際は1982年頃、宮原から米原に転属したゴハチのようです。最終配置は下関で、運用終了後米原に戻り撮影会に供されたようです。
 
フィルターこそヨロイ戸改造されていましたが、原型小窓で原型ワイパーの好ましい?スタイルのゴハチでした。
 
米原区撮影会の96号機は何度かアップしたことある1984年撮影会1985年撮影会ので、かなり前に撮影した96号機の画像をアップしてみます。
 

福井?のスロ81系お座敷列車を牽く96号機
 
 
 
 

12系の団体列車を牽く96号機
 
 
施工時期は不明ですが、96号機は宮原から米原に転属した後、ブルトレ牽引用にP型改造を施工されています。この2枚の画像はともにP型改造されていないので、宮原時代じゃないかな?と思っています。
 
1980年or1981年頃撮影。岐阜~岐阜貨物
 
 
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コメント

ゴハチ信者

No title
こんばんは。
96号機が宮原から米原に転属したのは1980年10月4日付です。
なお、P型に改造されたのは1982年9月に鷹取工場において最終全検を受けた時です。そういう訳で、この画像は米原に転属してからのものである可能性もありますよ。

弊ブログに宮原時代末期の記事を投稿していますので、トラックバックしました。

おざよう

No title
>>ゴハチ信者さん
ご教示ありがとうございます。
さすがに転属年月日までは調べても判らなかったです。しかもP型改造の施工日まで把握してるとは・・・。さすがです!

97号機の画像はないですねぇ~。

あきのす~さん

No title
こんばんは~。
私からも補足で。

P型改造は米原区の他の釜との取り扱いを揃えることが理由であったと思います。晩年の66や44号機のP型改造と同じ理由と思います。

おざよう

No title
>>あきのす~さん
なるほど他のゴハチと揃える必要はあったでしょうね。
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プロフィール

おざよう

ものごころついた頃から、今で言う「鉄子」だった母親に洗脳され鉄道三昧。
高校生からは友人の影響で航空自衛隊を中心とした飛行機撮影にも手を出す。

昭和58年~62年春までは愛知大学在学のため豊橋に住んでいました。愛大鉄道研究会に所属していましたが、鉄研とは関係なく全国各地を撮影して回りましたから、国鉄末期のこの頃の在庫は特に多いです。

さすがに結婚して子供が出来ると遠出がなかなか出来なくなり「ネタ」は地元ネタのみになりつつあります。

最近では子供も大きくなり、自由時間が増えてきました。
体力と懐具合と相談のうえ、あちこち出かけています。
この年で岐阜から千歳まで日帰りしたことも・・・(^0^;)

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