名鉄キハ8200系の最終日

昨日のキハ8500系の記事に思わぬアクセス数がありビックリ(O_O)
 
で、今日はキハ8500系の甲種輸送の記事にしようと思ったのですが、似たような写真ばかりになってもアレですので次回以降にします。
 
というわけで、キハ8500系が営業につくと同時に引退したキハ8200系最終日他の画像を紹介します。
 
 
キハ8000系についてはここで詳しくは語らなくてもいいかと思いますのでコチラを参照して下さい。早い話、国鉄キハ58系の床下をベースに名鉄の車両限界に合わせた車体を付けたものですが、固定クロスシートが当たり前の時代に転換クロスシートだったこの車両は一段とゴージャスに見えたものでした。
 
当初はキハ58系とよく似た塗装でしたが、特急格上げのさいにキハ82系とよく似た塗装に変更されました。一時は富山から富山地鉄に乗り入れ立山まで走破し、3社線乗り入れ列車とまで言われた事がありました。
 
 
 
結構、歴史のある車両でしたが、なぜか「さよなら運転」等のイベントは一切ありませんでした。普通に定期「北アルプス」号で往復して、翌日からはキハ8500系に交代しました。
 
そんなに名鉄がイベント嫌いじゃない頃なのに、なぜ何もしなかったのかな??不思議です。
 
 
 
最終列車は犬山橋で撮影しました。 

運良く?後方には大型トラック。トラックの場合、追い越しは不可能なので邪魔される心配はなかったですから・・・。
この日はネガカラーとスライドの2台のカメラで撮っていました。これはスライドをダイレクトプリントした紙焼き写真をスキャンしたものです。 
 
 
 
 
ここでアクシデント!
若干ダイヤが乱れていたため、新鵜沼から犬山行き7300系が出発してしまいました。
併用橋の頃は線路間が狭いため、原則として橋の上でのすれ違いは禁止になっていました。ただ、やむを得ない場合は片方の列車が停車して、もう片方の列車が最徐行で通過する規則になっていたはずです。
 

 北アルプスはこの場所で停車して、7300系をやり過ごしました。
沿線の鉄にとっては撮影会状態
一方トラックにしてみれば「何しとんねん?」の世界かな
 
 
 
 
高山線連絡線に入っていきます。急行の頃?はまだ連絡線はなく、そのまま新鵜沼駅で客扱いして、岐阜方にあった連絡ポイントでスイッチバックして高山線に入り、国鉄鵜沼駅で再び客扱いしていたらしいです。今でも線路配置に名残があります。

 この連絡線も撤去されてしまったんですね・・・。知らなかった。
 
以上3点、1991年3月15日撮影。
 
 
そして鉄が注目したのはこのキハ8200系の去就です。
当時、キハ58系もそこらじゅうで走っている時代。まだまだ廃車はもったいないだろう~っていう声が普通でした。
 
そのあたりは名鉄でも同じだったらしく、運用から外れても扱いが別格でした。特に気動車ゆえ、エンジンを長期間放置しただけで壊れてしまう関係上、日比野駅で留置して、定期的にエンジンを回して維持していました。 
 

 こんなかんじで長期間留置されていました。
 
 
 

右には懐かしい大窓3700系が・・・。1991年4月頃撮影。
 
 
 
こうして3月に運用から外れた後も長い間日比野駅で留置されていました。
 
複数の売却先にあたったらしいですが、DMH17系エンジンの旧システム化、特急車両ゆえの車体重量の重さ、老朽化、地方私鉄では維持の困難などから買い手が見つからなかったようです。
 
この1991年は私が仕事中に腰椎椎間板ヘルニアを起こし、12月24日から入院するハメとなりまして・・・。入院中に「キハ8200系が移動したらしい」っていう情報を聞きましたが、どうにも撮影に行ける状態ではなく・・・。2ヶ月入院して1992年2月下旬に名電築港に行きましたが、残骸も何もありませんでした。
真偽の程は不明ですが、年末に名電築港に運ばれ、かなり放置されたのでトイレがずいぶん汚くなっていたとか・・・。結局、全車解体されてしまいました。
 
 
 
ところで、どこに売却予定だったんでしょう・・・。いろいろな噂が飛び交いましたが・・・。
北近畿タンゴ鉄道とか長良川鉄道とか????ホントかしら????
 
今日はこのへんで・・・。

コメント

namazu850

No title
おざようさん こんにちはです。。。

またまた、キハ8000系シリーズ良いですね~~~。私は8500系より、8000・8200系の方が思い入れが強いですね。。。

デビューの頃の塗装は生では見たことはないですが、顔の赤ひげがまだない頃で、キハ58に似てるかな・・・ってとこでしたね。。。

それからひげが生えてキハ82にそっくりに似て、でもカッコよくなりましたね。。。

犬山橋での大型トラックは車両の前を走ってるとさすがに電車もお手上げでしたね、追い抜きが出来ませんでしたね。。。なのでダイヤ通りにはいかないのは多々ありましたね。。。
行き違いには、規則があったんですね。この頃は非冷房車両を乗っている時は窓を全開にして乗ってたので、犬山橋での行き違いする時は必ず停車してました。。。
なんせ、行き違いの時の隣の車両との空間が狭く、それにレールのレベルがバラバラなので、車両が大きく揺りかごするので、ほんと当たりそうで、手を伸ばせば触れるんじゃないかというギリギリでしたからそういう規則があったんだ~と改めて意味がわかりました~~~。

あきがみ~ん

No title
名古屋出張の折に神宮前から北アルプスに乗って帰った覚えがあります。確か神宮前始発だったような気がしますが違っていたかな?(汗)私にとっては8500系よりも8200系の方がなじみが深かったですね。こんな頃は家のベランダから鉄橋を渡る北アルプスがはっきり見えていました。名鉄の車両が飛騨まで来ているって言うのがなんだか嬉しくてよく見ていた覚えが有ります。

おざよう

No title
namazu850さん、コメントありがとうございます。
私も8200系の急行時代は見たことありません。
高山に母親の実家があったので、子供の頃週末はよく高山に行ったのですが、車か急行「のりくら」でした。稀に「ひだ」にも乗りましたが、岐阜は通らないため「北アルプス」には乗車出来ずくやしかった覚えがあります。
犬山橋の規制は「未確認情報」です(^^;; 間違いないとは思いますが・・・。
ホントに線路間が狭かったので、自動車と分離後、わざわざ単線化して線路間を広げる工事をしたほどですから・・・。

おざよう

No title
あきがみ~んさん、コメントありがとうございます。
「北アルプス」号は昔から神宮前始発でした。ただ一時期JRの都合?で時刻表は「新名古屋」発と表記されていた事がありました。
一度だけ自腹で8200系「北アルプス」に乗車しました。嬉しかった反面「特急」車としてはイマイチかな?とも思ったのは事実です。

マンボウシリウス

No title
おざようさん、こんにちは。
このキハ8200形の運転最終日ですが、私も橋の中央辺りで撮影していました。増結された編成が橋の上で停車した時は、夢中で連結面などを撮っていました。しかし、この時の記録は親が誤ってカメラの裏蓋を開けてしまい幻に・・・。
この時の停車ですが、単純に上り線を渡れない事による列車通過待ちだと思っていました。橋上でのすれ違いがいつからNGになったのかは存じませんが、少なくとも私が幼少の頃は普通にすれ違っていたと思います。ただ、何分子供の頃の話なので断言はできませんが(汗。

おざよう

No title
マンボウシリウスさん、ご無沙汰してます。

キハ8200最終日の記録をカメラの蓋開けでご破産とは・・・何ともご愁傷様?です。
まあ、連絡線に進入するには犬山行きを先行させないと渡れませんので、その可能性もありますね。
ただ、こういった犬山橋上での停車は他の列車でも何度か見ています。
非公開コメント

プロフィール

おざよう

ものごころついた頃から、今で言う「鉄子」だった母親に洗脳され鉄道三昧。
高校生からは友人の影響で航空自衛隊を中心とした飛行機撮影にも手を出す。

昭和58年~62年春までは愛知大学在学のため豊橋に住んでいました。愛大鉄道研究会に所属していましたが、鉄研とは関係なく全国各地を撮影して回りましたから、国鉄末期のこの頃の在庫は特に多いです。

さすがに結婚して子供が出来ると遠出がなかなか出来なくなり「ネタ」は地元ネタのみになりつつあります。

最近では子供も大きくなり、自由時間が増えてきました。
体力と懐具合と相談のうえ、あちこち出かけています。
この年で岐阜から千歳まで日帰りしたことも・・・(^0^;)

月別アーカイブ