キサシ180・キハ180放置車

先日キサシ180の画像を貼ったところ、アクセス解析でも結構検索ワードが多かったようです。

そんなわけで、その時記事に書いた大篠津駅に放置されたキサシ180を・・・。

キサシ180は大篠津駅の留置線に1両ポツンと放置されていました。

もともと「境線のどこかの駅にキサシ180数両放置されているらしい・・・っていうこれだけの情報でこんな遠くまで行ったのです。
スケジュールの都合?で大篠津駅に到着したのは真冬の夜明け前でした。あれ?どこにもいないや・・・とがっかりして構内をよ~く見ると雪に埋もれるようにキサシ180が1両ポツンと留置されていました。雪をかき分けて歩き辿り着きました。しかし、真っ暗・・・光源はほとんどない状態。車両もほとんど見えない・・・。とりあえず三脚にカメラを固定して、かなりの長時間バルブ撮影したと思います。しかし、どの画像も超アンダー。この画像のみが辛うじてプリント出来る写真でした。

今思えば、大篠津駅は後藤工場に近い駅(当時)。工場近くの留置線に放置されていたのだと思います。ただ、今1984年の車両配置表を見ると1984年時点でも米子にキサシ1807両(6・8~13)在籍しています。この画像を撮ったのは1981年頃。この後も放置され続けたんでしょうね・・・。減価償却が済むまでは・・・。

Wikiの記事によると、キサシ180は1982年に「やくも」381系化で失業したものの、製造後15年未満で廃車に出来ず長期間放置されたそうです。
ただ、この画像のキサシ180は1980年に先に余剰廃車になったキサシ180-1・2・4のいずれかと思われます。また、「やくも」381系化で余剰になったキサシ180は1985年5月に除籍されたものの、現車は大篠津駅に放置され、解体されたのは民営化後の1988年だったとか・・・。知らなかった・・・。撮りにいけばよかった・・・。


なお、ここで言う「大篠津駅」は現在の「米子空港駅」ですが、当時は空港拡張前なので、駅の位置は異なります。


ついでなので、宝積寺駅のキサシ180他も再スキャンしました。

Wikiの記事によると、このキサシ180は「つばさ」電車化による尾久所属の余剰車のようです。やはり解体出来ずに放置されていたようで、1980年に除籍されたキサシ180-3・5・7のようです。最後尾のキハ180はキハ180-27です。1980年頃撮影。






あとこの画像を見て下さい。

1980年頃の撮影です。山陽方面に旅行すると新幹線の中からだけチラッと見える色褪せたキハ180が2両いました。たぶん、小郡(現:新山口)区の構内と思われます。「おき」用のキハ180と思われますが、この当時キハ181系はキサシ以外全車元気だった頃。なんで、このキハ180 2両だけ小郡にず~~と放置されていたんでしょうね?何かご存じの方はご教示下さい。昔っからの謎です。
この色褪せ方から見て、運用を外れてかなり経過しているようですが・・・。
キハ180-28・29と推測されます。


※2016年7月4日補記済。



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コメント

2904F

No title
キサシという形式には以前から惹かれていましたが、
撮影することは叶いませんでした。
それにしても、かなりコアな記事ですね。
1枚目の写真には、感激しました。
早朝の雪中強行軍、感服です。
雪明りを使う、という発想は素晴らしいです。
1984年、新潟駅のホームから、遠くに留置してある165系を
この手法で撮影したことがありますが、
ホームの蛍光灯の明かりを拾って、むしろオーバーになりました…

おざよう

No title
>> 2904Fさん
私もキサシ・サハシは結構惹かれました。
でも、これだけのために米子まで行った自分が恐ろしい・・・。
もちろん何かのついでがあったと思いますが・・・。

このキサシはホント真っ暗だったことを記憶しています。1分以上は露光したような・・・。それでも無理画像でかなりスキャン時に補正しました。

gmhtcyhn

No title
はじめまして。
キハ181系の国鉄時代に廃車された車両について調べていて、この記事にたどりつきました。
宝積寺のキハ180は、27ですね。「つばさ」運用終了後も、なぜか1両だけ尾久に残り、1985年まで在籍してました。
小郡の車両は、8、28、29のうちの2両と思います。この3両は、1985、1986年に廃車になっています。
この画像を見ると、長期間放置された後に廃車になってようですね。
私も、なぜこのような結果になったのか、気になってます。

おざよう

No title
> gmhtcyhnさん
コメントありがとうございます。
あらためて1980年の車両配置表を見たら北オクにキサシ180-3・5・7とキハ180-27が二休車で掲載されていました。
また、米ヨナのキサシ180は1979年の配置表に1・2・4が二休車で掲載され、1980年も(たぶん)同様でその年に廃車されたようで、自分で塗りつぶしています(~_~;)
また、広コリのキハ180は1982年の車両配置表(1981年版は持っていない)によると28・29が一休車になっています。そこから推測すると、画像の色褪せキハ180は28・29と推測されます。理由は全く想像出来ないですが、考えられるのは何らかの致命的故障をして修理不可能になり、車齢が若いので会計検査院が恐くて廃車にも出来ない・・・よって放置・・・という国鉄時代よくあったパターンじゃないでしょうか??

おざよう

No title
> 文字制限にひっっかりました。
キハ181系ネタで謎なのが、JR四国からJR東海に売却されたキハ181-1とキハ180-1で、保存方針の変更に伴いキハ181-1はリニア館で保存されたものの、中間車のキハ180-1は解体されました。ただ、美濃太田の他の放置車両は西浜松まで陸送して解体したのに、キハ180-1は普段解体業務をしていない名古屋工場に陸送して解体されました。この理由が不明でして・・・。ウワサではJR四国から譲渡された車両を解体するのに新幹線から見える解体場所ではまずかった?とか言われていますが・・・。

gmhtcyhn

No title
> おざようさん
貴重な情報をありがとうございます。
尾久の「つばさ」運用が終わったのは1975年11月で、多くの車両は1975年のうちに転属しています。
1976年4月の時点で尾久に残ったキハ181系は、キハ181-5、キハ180-27~29、キサシ180-3、5、7でした。
キハ180-28、29が小郡に転属したのは1977年10月なので、尾久で2年近く休車状態だったと思われます。(編成を組めるだけの車両が残っていなかったですし。)
1980年の時点で、写真のように色褪せた状態で放置されてたということは、小郡転属後もほとんど使用されなかったように思います。
宝積寺に放置されていたキハ180-27と連番なので、これらの車両は、試験的な部分があるなど、他の車両と異なる所があったのかとも考えてしまいます。
すぐに廃車にできなかったのは、会計上の事情なのは明らかですが、なぜ、廃車にしなければならなくなったのかが謎です。

おざよう

No title
> gmhtcyhnさん
確かに宝積寺のキハ180が27で小郡のキハ180が28・29てのは意味深ですよね~。1979年配置表では宝積寺の4両は二休車表示になっていますが、キハ180-28・29は小郡所属で休車表示はされていません。

小郡に転属したものの使われなかったキハ180-28・29・・・謎は深まるばかりですね。

タロウ

No title
幼い頃、両親の帰省の為、夏になると毎年やくもに乗り、食堂車に行くのが楽しみだった。その後やくもは381に代わり、残りの181はまつかぜ等に転用された。しかしキサシだけは転用されないまま、月日が経ち、たまたまファンに「キサシは大篠津に放置」を見たので、友人と写真を撮りに行った。
大篠津駅の西側側線に、キサシ×3,キロ28×2,DD51が色褪せたまま放置されていた。
国鉄時代は時折、廃車待ちの車が放置されていた。

おざよう

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> タロウさん
大篠津の留置キサシ180を撮っているのですか!
ぜひ見せて頂きたいものです。
なぜ日中に行かなかったのか未だに謎です・・・。
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プロフィール

おざよう

ものごころついた頃から、今で言う「鉄子」だった母親に洗脳され鉄道三昧。
高校生からは友人の影響で航空自衛隊を中心とした飛行機撮影にも手を出す。

昭和58年~62年春までは愛知大学在学のため豊橋に住んでいました。愛大鉄道研究会に所属していましたが、鉄研とは関係なく全国各地を撮影して回りましたから、国鉄末期のこの頃の在庫は特に多いです。

さすがに結婚して子供が出来ると遠出がなかなか出来なくなり「ネタ」は地元ネタのみになりつつあります。

最近では子供も大きくなり、自由時間が増えてきました。
体力と懐具合と相談のうえ、あちこち出かけています。
この年で岐阜から千歳まで日帰りしたことも・・・(^0^;)

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