1987年3月北海道単身旅行1

1987年3月は大学卒業の年。しかも、就職内定した会社は3月16日から研修が始まる・・・(泣)。
 
ならば・・・ってわけで「卒業旅行」として北海道へ初めて行くことにしたわけです。
 
もちろん彼女もいなかった私は単身の鉄三昧旅行です・・・(大泣)。
 
 
 
当時は青函トンネルはまだ開通していません。かといって飛行機にも乗った事ありませんでした。
ルートは上野から583系「はくつる」に乗車。終点青森下車、雪が降っていました。
「あ~お~も~り~」のシブイ駅構内放送(今は聞けなくなりましたね、こういった肉声放送)を聞きながら、降車客のほとんどが青函連絡船を目指し、無口で歩いて行きます。んん???
 
♪上野発の夜行列車降りた時から~青森駅は雪の中。北へ帰る人の群れは誰も無口で・・・♪
 
まさにこの歌詞そのままでした(^_^)
 
青函連絡船「空知丸?」に乗船。この辺りは以前アップした記事をご覧下さい。
 
函館駅近くで市電をチョイ撮り。

よく知りませんが「521」という電車。この写真の他に718・804・529といった電車が写っていますが省略します。
 
 
駅にはこんな特急が・・・。

キハ183系「北斗」。キハ80系をそのまま置き換えた列車でしたね。JNRマークもついてます。
 
 
 
長万部で下車し、廃止間近だった瀬棚線に乗車しました。

画像からキハ22-225とキハ50-210の2両編成だったみたいです。
 
瀬棚線は第二次特定地方交通線だったので1987年3月16日で廃止されました。撮影はその約一週間前なのに、諦めからか何のイベントらしきものもなかったようです。
 
瀬棚駅まで乗車すると1時間半かかり、とても帰ってこられないので途中の「美利河駅」で折り返しました。なんて駅か読めますか?
 

小さな駅ですが、駅舎はモダンな造りでした。
 
 
 

駅舎内にかかっていた時刻表。当時はこんな黒板標示の時刻表がよくありましたね。
でも・・・一日6往復半。そりゃ乗る人もいないくなるよね~。これでも多い方かもしれないけど・・・。
 
 
 

ちょうどやって来た?キハ56系を撮りました(この画像はやや大きめ)。
 
ちなみに駅名は「ぴりか」と読みます(^_^;)
 
どうもこのキハ56に乗車して戻ったようです。
 
そこから何に乗車したかさっぱり記憶にありません。
 
ただ次の画像は夜の札幌駅になっています。鉄道で函館→札幌の移動は遠いよね~。
 
 
 
札幌駅では簡単撮影しています。ちょうどいたフラノエクスプレスを撮るもイマイチ。
同じく撮った711系の画像をアップしときます。
 

この当時は全然珍しくない時代です。まだ客車列車がそこらじゅうに走っていた頃ですから・・・。
 
 
とりあえず初日はここまでです。札幌駅前のビジネスホテルに宿泊したはずです。
 
1987年3月8日撮影
 
 
【余談】
中国の新幹線追突事故・・・ある意味スゴイ!あの国は・・・。
だって・・・ね~250km/hで走る列車が追突するっていうのもスゴイ話ですが、その事故車両を何の検分もなく地中に埋めてしまうっていう発想が・・・。「車両調査」「事故原因解析」あと鉄の固まりをそのまま地中に埋めてしまうという「環境負荷」っていう言葉があの国のエラい人にはないのでしょうね・・・。
しかも30人以上の人が亡くなっているのに2日後には「運転再開」??考えられない・・・。
しかもネットでそれを批判するとサイバーポリスが即刻削除するっていう・・・。ニュースは事故分析はそっちのけで、副首相がけが人の見舞いへ行ったり、事故本部を指導に行く映像で埋めつくされてる・・・。情報操作って恐ろしいですね。
 

コメント

ひで

No title
中国鉄道のニュースには本当に驚いたのですが、もっとおどろいたのは事後処理でした。事後処理をしっかりしていればまだ世界に売り込む余地もあったかもしれませんが、今回の対応で世界への拡販はありえなくなったのではないでしょうか?

子どもの模型遊びじゃないですよね。

しっかり原因を追及して世界に発信すればまだ挽回の余地はあったかもしれませんが、あのようなわけのわからないひどい対応をとったことで、当局のレベルの低さは逆に世界に十分に知れ渡ったものと思います。

おざよう

No title
ひでさん、毎度。
ホント「考え方が違う」としか言いようがない後始末ですね・・・。
関連ニュースを見ていても「家族が死んだはずなのに遺体がない→一緒に埋められた?」とか「家族5人が死んでるが、ぶら下がっていた車体にいたのに、救助される前に車体を落とした・・・」とかどこまで本当か判らない事態も発覚していますし・・・。
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プロフィール

おざよう

ものごころついた頃から、今で言う「鉄子」だった母親に洗脳され鉄道三昧。
高校生からは友人の影響で航空自衛隊を中心とした飛行機撮影にも手を出す。

昭和58年~62年春までは愛知大学在学のため豊橋に住んでいました。愛大鉄道研究会に所属していましたが、鉄研とは関係なく全国各地を撮影して回りましたから、国鉄末期のこの頃の在庫は特に多いです。

さすがに結婚して子供が出来ると遠出がなかなか出来なくなり「ネタ」は地元ネタのみになりつつあります。

最近では子供も大きくなり、自由時間が増えてきました。
体力と懐具合と相談のうえ、あちこち出かけています。
この年で岐阜から千歳まで日帰りしたことも・・・(^0^;)

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