操重車

「操重車」
といっても、今の若い鉄の方には「???何それ?」と聞かれると思います。
国鉄時代、国鉄では営業用車両以外に多くの「事業用車両」という車両を有していました。一部はJRになっても継続されています。
その事業用車両の中で特に変わった存在だったのは「操重車」というジャンルです。全国各鉄道管理局内に数両ずつ配備されていた早い話「鉄道クレーン車」です。
 
何で「クレーン車」を使えばいいのに、それを鉄道車両にした専用車両があるの?と思われるでしょう。というのも導入された昭和20~30年代は今のように道路環境が良くありませんでした。万が一鉄道事故が起こるとその復旧させるのに一般のクレーン車ではなかなか近づけません。そのためにクレーン車を線路の上を走れるようにしたのが「操重車」というわけです。
 
もちろん車両の目的から言って「救援車」と同様、滅多に走ることはなく、通常は機関区の片隅で寝ているのが当たり前の光景でした。
1980年代半ばでは各機関区の一般公開が盛んな頃で、1984年の稲沢機関区の公開では「ソ80」が展示されていたこともあります。

(稲沢機関区にて 1984年8月)
 
しかし、私は高校生の頃、滅多に動かない「ソ80」が仕事している所を目撃しました。
前にも某掲示板に貼って、賛否両論の意見を受けましたが・・・。
そのソ80が活躍したのは1982年3月16日に名古屋駅で起きた「寝台特急 紀伊 機関車衝突事故」の復旧現場です。この事故は紀伊号が名古屋でEF58からDD51に機関車交換をするさい、名古屋機関区を出区したDD51の機関士が前夜の仮眠時間の飲酒の影響で出区後、居眠り運転をしてしまい約20km(ホンマかいな?)の速度で客車に衝突してしまったという事故です。幸いにも旅客が少なく、大破した車端部に乗客はなく、けが人だけで済みました。
私は、ニュースで見て名古屋駅に行ったはずですが、事故から10時間以上経っていても、機関車と客車は食い込んだままで、車体の一部が切断されていました。そのスハネフ14の反対側の脱線部分を復線させるためにソ80が出動したようです。
 
前にも某掲示板にUPした写真です。

 
ソ80の側面の写真も・・・。

ディーゼルエンジンの排気で煙たかったのを覚えています。
 
あと、ヨソ様の掲示板にUPするのはためらわれたのでUPしなかった事故写真も・・・。

 
 
なぜ、このソ80の事を思い出したかというと「いのさんのブログ」を見ていて、保存対象から外れ、佐久間に放置されていたソ180が解体された事を知ったからです。
合掌・・・。

コメント

あきがみ~ん

No title
凄い貴重な写真ですね。20KMですか・・・・・・。

レールパークのソは解体されたのですか・・・・・・。
東海博物館なんて立派なところでなくてもB級グルメならぬB級列車(失礼かな)たちもどこかで保存できれば良いのにと思います。
解体したら2度とは戻らないのだから・・・・。

TOBBY

No title
こんばんは。
これは衝撃的でしたね。私の記憶にもあります。
時速20キロメートルでは、こんなになりそうもないですね。

この時期に、天王寺かどこかで、やはりブルートレインの事故があったように記憶しています。車止めにぶつかったのでしたか?

昨日も山陽新幹線で工事用車両の脱輪があったようですが、復旧には時間がかかるようですね。

おざよう

No title
あきがみ~んさん、コメントありがとうございます。

佐久間のソ180はソ80型の最新車両で篠ノ井に配備されていました。いつ頃、佐久間に展示されたのか記憶にないですが、でぃっくさんによるとGW最中にEF58-122牽引で配給輸送されたらしいです。私的にはソ180もですが、クヤ165の解体が残念です。

おざよう

No title
TOBBYさん、コメントありがとうございます。

事故状況の20kmは公式発表ですが、あの食い込み方を見てるとちょっと・・・ですよね。名古屋機関区を出発してマスコンを入れっぱなしで加速していけば、かなりの速度になると思いますが・・・。いつ頃から居眠りしたのかは判りませんが・・・。ただ、線路上には連結誘導員が必ずいたはずですが、よく怪我しなかったものです。目の前でこんなの見たら・・・恐ろしいですよね・・・。

天王寺の事故は何となく聞いた記憶がありますが、ウィキでは調べられませんでした。ブルトレの事故としては1984年10月に西明石駅であった富士号脱線事故が印象に強いです。半年後に別の撮影で西明石に出向いたさい、近くの貨物駅?に未修理のブルトレがいましたし、西明石駅ホーム下にひん曲がった25系のステンレス帯がありましたので・・・。

しゅびっち

No title
はじめまして、こんばんわ~♪m(_ _)m

私が産まれる少し前の事故で当時を知らないですが
こんな凄まじい事故だったとは驚きです(-.-;)
私は元鉄道員で入れ換え作業も経験がありますが
20kmでぶつかったとしてもせいぜい自連が
ぶっ壊れるだけでここまでは酷くないですよ(-o-;)
貴重な写真が拝見でき感謝ですm(_ _)m

おざよう

No title
しゅびっちさん、はじめまして。コメントありがとうございます。

実際に連結作業の経験のある方なら、なおさらこの凄さが感じられるでしょうね。事故の衝撃でスハネフ14-102の車掌室はもちろん寝台区画も一つ分?くらい目茶苦茶になっていたはずです。たまたま、お客さんが中ほど?より後ろしか乗車していなかったので軽症で済んだのですが・・・。
事故直後はDD51-717がスハネフに食い込んでスハネフのブルーのボディが「もっこっと」膨らんでいました。私が撮影した時点では、その膨らんでいたボディはバーナーで切り落とされていた後でしたので、ぐしゃぐしゃに見えます。

ちなみにDD51-717もスハネフ14-102も事故後に廃車になりました。14系では初の廃車だったかな??
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プロフィール

おざよう

ものごころついた頃から、今で言う「鉄子」だった母親に洗脳され鉄道三昧。
高校生からは友人の影響で航空自衛隊を中心とした飛行機撮影にも手を出す。

昭和58年~62年春までは愛知大学在学のため豊橋に住んでいました。愛大鉄道研究会に所属していましたが、鉄研とは関係なく全国各地を撮影して回りましたから、国鉄末期のこの頃の在庫は特に多いです。

さすがに結婚して子供が出来ると遠出がなかなか出来なくなり「ネタ」は地元ネタのみになりつつあります。

最近では子供も大きくなり、自由時間が増えてきました。
体力と懐具合と相談のうえ、あちこち出かけています。
この年で岐阜から千歳まで日帰りしたことも・・・(^0^;)

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