1984年秋の瀨野八3(サルベージ画像)

少し間が空きましたが続篇です。前回記事はコチラへ。

多少、ネガの順番が入れ替わっている可能性がありますが、このまま進行します。

瀨野機関区の撮影に出向いたようです。
当時、瀨野駅は撮影禁止になっている一方、機関区は側道から撮りやすい造りになっていました。
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検修庫?も道路からよく見えました。運用を終えた?EF61-207が入庫してきました。

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そのすぐ横の留置線にはEF59-18+EF59-1が待機していました。運用予備車だったのかな??



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EF61-207EF59-18の連結器周りのUP画像。基本的に同じ造りになっています。



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構内には既にEF67-2が新製配置され、EF61-211と並んでいました。
EF61-211の奥にはEF59も見えます。EF59EF61-200EF67と三世代同居していた期間は短かったですね~。



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下りのコキ10000系貨物列車が通過。コキフ10000には瀨野八用の電気連結器が装備されているのが見えます。



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瀨野機関区の西側には数本の留置線があり、廃車前提の休車車両と単に運用に就いていない車両が結構ごちゃ混ぜに留置されていました。EF59-10はかってのEF53-1。元ファーストナンバーです。その関係でJR化後も保存目的でJR西日本に引き継がれましたが、結局保存されることなく幡生工場内で20年近く放置されたあげく2006年に解体されました・・・。



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今までに何度も登場した画像です。瀨野機関区に放置されたEF61-201+EF61-203です。EF61-200が性能上重連運転が困難であると判明した時点で既に8両が改造終了しており、3両が余剰になり放置されました。放置されたうちのEF61-211はその後復帰しましたが、EF61-201とEF61-203はついぞ復帰することなく・・・。203号機はJRに引き継がれることなく1986年廃車。運用に就いていたのは数年でした。また、EF61-201はその後復帰したと思われていましたが、最近の調査で間違いだった事が判明。JR貨物に引き継がれたものの、広島車両所で部品取り機で放置され1991年に他のEF61-200と一緒に解体されました。吹田機関区扇形庫で保管後解体されたのはEF61-210の可能性が高いようです。



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先ほどのEF59留置車を反対側から。手前からEF59-9+EF59-11+EF59-21+EF59-10です。



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そのうちのEF59-11EF59-11とEF59-9は銘板が外され、区名札も入っていなかったので既に廃車されていたのかもしれません。



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EF56改造のEF59-21。EF56からはEF59に4両改造されましたが、元々SGを搭載していた機関車ゆえ、車体の腐食が進行しており、EF59の中ではこの21号機以外は早々に廃車になりました(私も21号機以外は見たことないです)。一方、21号機はEF59全機引退まで延命し、現在でも広島車両所で保存されています。


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EF59-10。この10号機と21号機は区名札が入っているので運用中たまたま留置されたものと思われます。




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この留置線の手前にロープが一本あるだけで、手前の道路は公道。撮影しやすかったのが判りますよね~。



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この画像は構内踏切から撮ったのかな?




この広島遠征はフィルム時代とは思えないほど撮影しており、瀨野八も含めまだまだ続きます(^0^;)







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コメント

SL10(Series181)

こんばんは。
自分も留置線のEF59を撮りましたが
コマ数は少ないです。
一度しか訪問していなかったので
もっと沢山撮っておけばよかったと後悔しています。

おざよう

Re: こんばんは。
私は1984年前後に三回来訪しましたが、同じような写真があるわりに一両ずつの画像は少ないんです。
まぁフイルム時代だから仕方ないんですけどねぇ~(^-^;
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プロフィール

おざよう

ものごころついた頃から、今で言う「鉄子」だった母親に洗脳され鉄道三昧。
高校生からは友人の影響で航空自衛隊を中心とした飛行機撮影にも手を出す。

昭和58年~62年春までは愛知大学在学のため豊橋に住んでいました。愛大鉄道研究会に所属していましたが、鉄研とは関係なく全国各地を撮影して回りましたから、国鉄末期のこの頃の在庫は特に多いです。

さすがに結婚して子供が出来ると遠出がなかなか出来なくなり「ネタ」は地元ネタのみになりつつあります。

最近では子供も大きくなり、自由時間が増えてきました。
体力と懐具合と相談のうえ、あちこち出かけています。
この年で岐阜から千歳まで日帰りしたことも・・・(^0^;)

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