大井川鉄道(1987年)

大井川鉄道へは学生時代は豊橋在住でしたので、何回か行きましたが、社会人となり岐阜在住となってからは遠いのでなかなか行かなくなりました。
 
それでも1987年11月14日は岐阜から遠征したようです。
たぶん、秋の紅葉シーズンでSL列車が2往復運転+トラストトレインC12が運転する日で実質3往復運転なのに惹かれて遠征したと思われます。トラストトレインのC12は走っているのを撮ってなかったですので。
 
 
画像で判断するに、朝のC11-227牽引の臨時SL急行は撮っていません。たぶん間に合わなかったのかな?
最初は福用のお立ち台に行ったようです。

最初に撮ったのが元名鉄車の3822F。ただ、この編成は名鉄3822Fの車体を流用したのみで名鉄3800系とは別物です。というのも種車3822Fの床下は7300系に使われましたので、この編成は大井川鉄道の旧車モ303の改造で誕生しています。その元は日車製の旧豊川鉄道モハ32を国鉄が買収しモハ1611となり、福塩線で走っていたものだそうです。また座席も当初は近鉄初代ビスタカー10000系の座席を使っていましたが、この当時は名鉄7000系の初期廃車車両の座席に換装された後かな??
 
 
 
 

C56-160牽引の「かわね路」号。客車7両なのでELの補機が連結されています。
 
 
 
 
 

突然やって来た臨時貨物列車・・・。この当時、大井川鉄道では既に貨物営業は行っていませんでしたが、長島ダム建設の資材輸送で臨時貨物列車が運行されていました。しかし、時間等は全く判らず福用駅?で列車を待っていたら突然反対側からやって来て慌てて撮りました。だからブレてます・・・(・_・、)
大井川鉄道で貨物列車を撮ったのがこの日が最初で最後かも・・・。
 
 
 
 
抜里~笹間渡のカーブに転進したようです。天気はどんどん悪化・・・。昼とは思えない暗さに・・・。
 

ここで最初に撮ったのが旧北陸鉄道加南線から流れてきたアルミカー6010系「しらさぎ」。調べてみると日本のオールアルミカー第1号だそうで・・・。、まだ前照灯が1灯の頃です。
 
 
 

同じく北陸鉄道加南線から流れてきた6050形「あかいし」他。6050形は6010系と異なり1500Vの昇圧工事が施工出来ず小田急モハ1906(この写真の3両目)に牽引される形でTc車として多客時のみの運行になっていました。当時の大井川鉄道は多客時にはこんな5両編成の普通列車も運転されていました。
ちなみに6050系は北陸鉄道時代は「くたに」号でした。
 
 
 

復活間もない頃のC12-164のトラストトレイン。C12-164はATS装置を取り付ける費用が捻出出来ないって事でかなり長期間休車になっていますが、名鉄の廃車車両から流用出来ないものか?といつも思います。無理なんでしょうが・・・。
 
 
 
 

帰り家山駅に留置中のSE車を撮影。もうほとんど動かなかった頃かな?秋なのに「あゆの里」マークだし・・・。SE車がまともに動いていたのは何年くらいだったのかな???休車期間は長かったはずですが・・。
 
1987年11月14日撮影。
 
 
 
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コメント

中京

No title
おざようさん、こんにちは。
3822F、何か違うなあ、と思ったら屋根上の通風機がないんですね。
ビスタカー10000系の座席を使っていた時に乗ってみたかったですね。
小田急SSEは本当に残念でした。1,2年しかまともに動かなかったですよね。

おざよう

No title
>>中京さん
言われてみればベンチレーターがないですね(^0^;)

3822Fがビスタカー10000系の座席の頃に乗りましたし、SSE車も「ロマンス急行」で乗車しました。惜しむらくは、SSE車に乗車中カセットに録音していたのですが、当時の録音設備の関係で雑音だらけで聞くに堪えない状態な事です・・・。ミュージックホーンも鳴らしているのに・・・(・_・、)
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プロフィール

おざよう

ものごころついた頃から、今で言う「鉄子」だった母親に洗脳され鉄道三昧。
高校生からは友人の影響で航空自衛隊を中心とした飛行機撮影にも手を出す。

昭和58年~62年春までは愛知大学在学のため豊橋に住んでいました。愛大鉄道研究会に所属していましたが、鉄研とは関係なく全国各地を撮影して回りましたから、国鉄末期のこの頃の在庫は特に多いです。

さすがに結婚して子供が出来ると遠出がなかなか出来なくなり「ネタ」は地元ネタのみになりつつあります。

最近では子供も大きくなり、自由時間が増えてきました。
体力と懐具合と相談のうえ、あちこち出かけています。
この年で岐阜から千歳まで日帰りしたことも・・・(^0^;)

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