クヤ165-1

操重車の項でも触れましたが、佐久間レールパークから搬出されず放置されていた車両が先日一気に解体されてしまいました。
全車の保存は不可能とはいえ、残念ですね・・・。
 
博物館行きの選からもれた車両の中でとりわけ印象に強かったのが「クヤ165-1」です。
私の若い頃、既にほとんど急行列車から「サハシ」というビュッフェ車は営業を休止され、編成から外されていました。ですので、一部の保留車を除き、ビュッフェ車は撮影不可能でした。
 
しかし、地元の大垣電車区(当時)に珍車がいたのです!
サハシ153を改造したクヤ165-1です。運転士の教習を行うために余剰のサハシ153を改造したもので、同様の車両は吹田にクヤ153-1という車両もいました(こちらは撮れなかった・・・)。
 
車両の目的上、室内は床下機器の現物や座学をする教室など種車の雰囲気を残していません。しかし、外観は独特の窓配置がそのままでした。
 
教習に用いる時以外は動く事がないので、普段は大垣区の北側留置線で寝ていました。
こんなかんじで・・・。隣は懐かしの159系です。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
陸橋からの撮影も・・・。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
このように他の留置車もいたので、なかなか東京側の顔は撮れませんでした。
でも、ある日留置車があまりおらず、クモヤ代用のクモハ40050と連結され、留置されており
東京側も撮れました!こちらのサイドの方がサハシの雰囲気がありますから・・・。
もちろん反対側の側面が一番サハシの雰囲気を残していますが・・・。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
そして、ある日、たまたま定期配給スジでこんな列車を撮影出来ました。
クモヤ90050+クヤ165-1+クモヤ22118 といった編成です。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
入場だったのかどうかは不明です。先頭のクモヤ90050は今回モハ63に復元される車両です。
 
 
 
また、偶然名古屋駅で『仕事中のクヤ165-1』を見ました。
駅構内の留置線でEF65?とクモハ40050と編成を組み「訓練中」の札がかかっており、パンタも上がっていました。
たぶん運転士の移動講習?がされていたのでしょうか??

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
国鉄末期頃には私が大垣に撮影に行くこともなくなったため、クヤ165-1は廃車になり、解体されたものと思っていました。
実際、多くの事業用車両は国鉄からJRに継承されず解体されていきましたので・・・。
ところが、JR開業後、笹島で開催された「JRバースデーフェスタ」という車両展示会を夕方についで見学しに行くとクヤ165-1がクモエ21800やクモヤ495系、ユーロ色の機関車とともに展示されていてビックリ!
保存対象としてキレイに整備され、所属表記も国鉄の「名カキ」からJRの「海カキ」に変わっていました。
これのみ1988年4月3日撮影。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
この後、佐久間などでも見かけましたが、あまり気が入った写真はありません。
 
また、珍車が消え去りました・・・。
 
今回の写真は今まで画像掲示板に披露したものばかりで、新鮮さはないかと思いますが、あしからずご了承下さい。
※最後の写真以外1981年頃撮影。
 

コメント

ひで

No title
ひでです。

私的にもこの車両は気になる存在でした。ビュッフェ改良車だったんですね。本線を走る光景も何度か見かけましたが、確かに異色の存在でしたね。

おざよう

No title
ひでさん、コメントありがとうございます。

私の世代ですと「ビュッフェ車」の現役時代はほとんど知りませんので、クヤ165・153、クモヤ191系は何故か惹かれるものがありました。

茂羽寝 五八三

No title
おはようございます。
EF64-1000の構体回送に続いてお邪魔します。
一つお聞きしたいことがあるんですが、クヤ165は単体で自走出来たのでしょうか?
運転台もパンタグラフもMGも付いていますが、肝心のモーターが付いているという記述がなかったので、自走出来ないとずっと思っていました (モーターが付いていれば “クモヤ165” になる筈ですよね) 。
だから、おざよう様の画像のように、基本は機関車か牽引車に牽かれて運用に充たっていたのかなと思うのですが、如何でしょうか?

おざよう

No title
>>茂羽寝 五八三さん
床下機器配置までは知らないですが、あくまで「クヤ」です。
MGは搭載されていますが、確か車内研修用のものだったと思います。パンタグラフも集電機能があるとは思いますが、たぶん集電して車内にある研修機器に電気を送るだけのものかと・・・。

自走は出来ないですから、いつもは電車牽引だったようです。クモハ40050がよくその任務に就いていたようですが、クモヤ90050やクモヤ22118が牽く事も多かったようです。機関車牽引の姿はネット上でも見たことないですねぇ~。私の上記画像は研修中に機関車へ移動して研修をしていたものと思われるので、実際牽引してきたのではないかと・・・???

しるねこ

No title
こんにちは。
とてもいいお写真ですね。実際に佐久間でしか見たことが
なかったので実際の運用は見たことがありませんでした。
いまフェニックスのキットを作っているのでとても勉強に
なります。貴重なお写真を拝見できてよかったです。
ありがとうございますm(_ _)m

おざよう

No title
>>しるねこさん
大昔の写真ですが、何か参考になりましたら・・・。
クヤ165-1は中学生の頃から何度も見に行きましたので、思い入れのある車輌でした。佐久間に保存された時は驚きましたが、まさか現地解体されるとは・・・(>_<)

しるねこ

No title
ブログに作ったクヤの写真を載せました。わたくしおざようさんの
お写真を拝見して塗装したためHゴムが灰色ですが、そうえいば
佐久間の時は黒ですね。しかもカギ外しが撤去されてて...
もし宜しければご笑覧いただけたら幸いでございます。
http://blogs.yahoo.co.jp/h53001126/10589015.html

おざよう

No title
>>しるねこさん
拝見しました。素晴らしいディテール再現ですね!
Nですか?
ところで、Hゴムが佐久間では黒色だったとのことですが、前面窓の事でしょうか?私は末期の佐久間は行けずに終わったのですが、開園当時は白色でした。下記記事をご覧下さい。
http://blogs.yahoo.co.jp/ozayo1965/32349146.html

その後記事にはクモハ52004も。
http://blogs.yahoo.co.jp/ozayo1965/32355332.html
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プロフィール

おざよう

ものごころついた頃から、今で言う「鉄子」だった母親に洗脳され鉄道三昧。
高校生からは友人の影響で航空自衛隊を中心とした飛行機撮影にも手を出す。

昭和58年~62年春までは愛知大学在学のため豊橋に住んでいました。愛大鉄道研究会に所属していましたが、鉄研とは関係なく全国各地を撮影して回りましたから、国鉄末期のこの頃の在庫は特に多いです。

さすがに結婚して子供が出来ると遠出がなかなか出来なくなり「ネタ」は地元ネタのみになりつつあります。

最近では子供も大きくなり、自由時間が増えてきました。
体力と懐具合と相談のうえ、あちこち出かけています。
この年で岐阜から千歳まで日帰りしたことも・・・(^0^;)

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