解体直前の名鉄3880系3893F(1983年6月)

今回は久しぶりに紙焼き写真のスキャンです。過去に記事にしたはずなんですが、検索しても見つからないので、再度スキャンしました。

名鉄3880系はオイルショック時に鉄道通勤客が激増し、クロスシート至上主義?だった名鉄の輸送力の脆弱性を直撃しました。
ラッシュ時に積み残しが出たり、ダイヤが乱れたり・・・。
ようやく通勤型車両の導入が検討され、ちょうど東急電鉄で売却告知がされた3700型を購入し3880系として整備・投入しました。

3880系は6000/6500系増備に伴い廃車になり、1983年3月で全車引退しました。
最後まで新川工場で姿を見た3893Fは1983年5月頃に姿を消し、解体されたものと思っていました。

そして、1983年6月26日新形式5300系5301F・5302Fが日本車輌から甲種輸送される日、豊橋でそれを迎えた私は、久しぶりに名電築港に出向き再度甲種輸送を迎えました。

ところが、名電築港の空き地に解体直前と思われる車体が3両・・・。そう消息不明だった3880系3893Fでした・・・。

2887-1.jpgまず目に飛び込んできたのがコレ!だるま状態のク2887です。

2887.jpg運転台側を撮影。ク2887は名鉄3880系の中で唯一出自が違う車両で、導入時に制御車が2両不足したため、ク2887東急3600系クハ3671を改造しています。そのため唯一のノーシル・ノーヘッダー車体になっているのが特徴です。




3894-1.jpg今で言う「クレーン吊り線」に台車付で留置されていたのはモ3894でした。導入時に中間車として扱われ運転台も一部部品が撤去されており、実質中間電動車の扱いでした。ですから、顔が出たのは久しぶりじゃないかと・・・。
なお、履いている台車は振替済みの旧型台車(D-16)です。本来のKS33-E台車はこの後も転用され続け長生きしています。大井川鐵道のスイテ82などで現役だったような・・・。

未だに判らないのがこのモ3894の扉。窓ガラス部分は赤い?ビニールが貼られ、扉だけ赤い塗装が落ちて白くなっています。一部は東急時代?の緑色が浮き出ています。扉だけこうなっているのが不思議で・・・。何か剥離剤?のテストでもしたのでしょうか・・・。






3893.jpg一番奥にいたのがモ3893です。台車こそ振替られていますが、現役時代のイメージを維持していました。









この時撮った写真はRail Magazineのニュース欄に掲載されました。
それを見た東急電鉄の方がRail Magazine編集部に何らかの問い合わせをしたそうで、編集部から「連絡先を教えてもいいか?」と電話がかかってきて驚きました。
まぁ結局、東急電鉄からは連絡はなかったのですが・・・。
そりゃ・・・掲載された頃にはもう解体済みだったでしょうから・・・。
でも、東急電鉄は何に興味を引いたのが知りたかったですね~~(^0^;)









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プロフィール

おざよう

ものごころついた頃から、今で言う「鉄子」だった母親に洗脳され鉄道三昧。
高校生からは友人の影響で航空自衛隊を中心とした飛行機撮影にも手を出す。

昭和58年~62年春までは愛知大学在学のため豊橋に住んでいました。愛大鉄道研究会に所属していましたが、鉄研とは関係なく全国各地を撮影して回りましたから、国鉄末期のこの頃の在庫は特に多いです。

さすがに結婚して子供が出来ると遠出がなかなか出来なくなり「ネタ」は地元ネタのみになりつつあります。

最近では子供も大きくなり、自由時間が増えてきました。
体力と懐具合と相談のうえ、あちこち出かけています。
この年で岐阜から千歳まで日帰りしたことも・・・(^0^;)

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